福島地方裁判所 平成7年(行ウ)6号 判決 1999年12月27日
原告
甲野花子
右訴訟代理人弁護士
高橋高子
被告
富岡労働基準監督署長五十嵐健一
右指定代理人
翠川洋
高橋幸一
大類真紀雄
坂本善信
安斎守
草野謙治
伊藤進
佐藤憲一
添田美義
新井田守男
小野芳孝
安部啓介
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告が原告に対して平成2年2月7日付けで行った労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
第二事案の概要
本件は,甲野太郎(以下「太郎」という。)が,業務上の事由により脳出血で死亡したとして,同人の妻である原告が,労働者災害保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき,被告に遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが,これらを支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)がなされたことから,本件処分の取消しを求めるものである。
一 争いのない事実
1 太郎(昭和22年12月15日生)は,昭和63年当時,各種建設物の塗装工事等を業とする東邦塗装工業株式会社(以下「東邦塗装」という。)に課長職として勤務していた。
太郎は,東邦塗装が三菱重工業株式会社長崎造船所(以下「三菱重工」という。)から下請けした福島県双葉郡広野町所在の東京電力株式会社広野火力発電所3号ボイラー設備建設工事(以下「本件ボイラー建設工事」という。)における塗装工事(以下「本件作業」という。)の現場監督として,同年2月16日から本件作業の現場(以下「本件現場」という。)へ赴任し,就労していた。
2 太郎は,昭和63年11月14日午後7時40分ころ,本件現場の1階フロアで倒れているところを発見され,ただちに救急車によっていわき市立総合磐城共立病院へ搬送されたが,同月15日午前8時ころに死亡した。同病院で太郎を診療した医師である相原坦道医師(以下「相原医師」という。)は,太郎の直接死因は脳出血であり,その原因は高血圧症であると診断した。
3 原告は,被告に対し,平成元年4月2日,労災保険法に基づき,遺族補償年金と葬祭料の請求を行ったが,被告は,平成2年2月7日付けで,太郎の死亡と太郎の業務との因果関係が認められないと判断し,本件処分を行った。
原告は,本件処分を不服として,同年3月29日,福島労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが,同審査官は,同年11月30日付けで,これを棄却する旨の決定をした。
原告は,右決定を不服として,平成3年2月16日,労働保険審査会に対して再審査請求をしたが,同審査会は,平成7年3月3日付けで,これを棄却する旨の裁決をした。
原告は,右裁決を不服として,同年5月15日,本件訴えを提起した。
二 原告の主張
1 太郎の死亡は業務に起因するものである。
(一) 太郎の業務内容
(1) 太郎の業務は,現場監督として本件現場のパトロール,職人らの安全監視,作業内容の指示,元請会社である三菱重工や東邦塗装本社との連絡・交渉,作業の段取りの決定,塗装材料等の手配,職人の手配,毎日の昼食及び残業食の手配並びに作業日報の作成等であった。また,作業が遅れていたときは,自ら塗装作業に従事することもあった。太郎は,本件現場における現場監督を1人で務めていたが,本件作業は最大で40名余りの職人が従事する大規模なものであり,1人の現場監督が把握できる職人の数が10名程度であることに照らせば,現場監督は最低でも3名は必要であった。太郎は,ただ1人の現場監督として,常に緊張して職人らの安全を確認するとともに,作業の進行状況等を把握していなければならず,休憩時間を取ることも十分できなかった。
(2) 本件作業は,高さ100メートルもの高所での作業も行うもので,移動が激しく,危険なものであった。また,本件現場の昼夜の気温差は大きく,高所では風の影響もあったため,本件現場での作業は常に緊張を強いられるものであった。
(3) 太郎は本件現場へ単身赴任していた。太郎は,昭和63年3月ころから(なお,以下特に注記しない限り,摘示する年月日は昭和63年のものである。),本件現場から車で片道20分を要する一戸建ての宿舎で,最大22,3人の職人と共同生活を送っていた。宿舎での太郎は,食料の買入れをしたり,管理職として職人らの監督をしていたため,実質的に24時間勤務の状態であった。
(二) 本件作業の遅れによる疲労やストレス
(1) 本件事故が発生した11月当時,本件作業は,8月,9月及び10月の長雨と,職人数の不足,他の作業の遅れによる影響などを理由に,予定より1か月近く遅れていた。本件作業は,10月13日に予定されていた消防検査や,11月16日に予定されていた火入れ式と呼ばれる式典に間に合わせなければならないという時間的制約があったため,10月から11月にかけては,連日急ピッチで作業が続けられていた。責任感が強く,真面目な性格である太郎は,作業の遅れを悩み,眠れずに未明から起きて考え込むこともあった。太郎は,再三にわたって東邦塗装本社に職人の増員を求めたが,同社は十分な人数を確保しなかった。
(2) 本件作業の遅れにより,10月から11月にかけて,太郎の残業時間や休日労働は増加していった。太郎は,ただ1人の現場監督であり,交代要員がいなかったため,休暇を取得することができなかったし,連日最後まで現場に残っていなければならなかった。太郎は,9月19日から11月14日までの間,10月30日を除いて連日出勤し,10月以降は,午後7時を起算時として,ほぼ連日5時間から7時間の残業を行い,午前1時や2時に宿舎に帰るという生活を送っていた。10月21日に原告が自宅に立ち寄った太郎に会った時,太郎は無精ひげを生やし,目がくぼみ,顔がやつれ,体重が減少していた。
(3) 本件事故が発生した11月14日は,太郎は午前5時30分ころに起床し,朝食後,自ら運転する車で本件現場に出勤し,午前7時10分ころから作業の打合わせ等を開始した。同日は,午後10時までの残業が予定され,1階から12階までの各階で鉄骨,手摺,階段他の下・中塗り補修及び上塗り,天井ハウジング及びバーナー廻り塗装,配管塗装,マーキング,エレベータ前室塗装が行われていたが,火入れ式までに,火入れ式を行う缶の前や招待客が通る通路等の塗装を完了しなければならず,太郎は非常に緊張して焦っていた。太郎は,現場パトロール等に加えて,作業の打合わせ,使用塗料の確認や材料の手配,弁当の買い出し等を行っており,夕食後に,本件現場に戻った。その後,午後7時40分ころ,安全帽,安全帯,作業服,安全靴を着用した状態で,手に塗装用ハケを持ったままうつぶせで倒れているところを発見された。
(三) 太郎の健康状態
太郎は,原告との婚姻後,風邪を引いたこともなく,病気と診断されたことはない。太郎の血圧の数値については,東邦塗装が従業員の健康診断を実施していなかったため不明であるが,仮に高血圧症であったとしても,右(一)及び(二)のような勤務を行う中で,太郎は,健康診断を受けたり,治療を受けることができない状況であった。東邦塗装は,太郎の高血圧症を知りながら,それが悪化しないよう予防措置を講じたり,適切な治療を受けさせることをしなかった。東邦塗装には,太郎に対する安全配慮義務違反があり,業務起因性の判断においてはこれを考慮すべきである。
2 以上のとおり,太郎が従事した業務は,量的,質的にみて過重な肉体的,精神的負担を与えていたものであり,その結果,太郎は,肉体的疲労や精神的ストレスを蓄積させ,脳出血を発生させて死亡した。太郎の死亡と業務との間には相当因果関係があり,業務上の死亡といえるから,これを否定した本件処分は取り消されるべきである。
三 被告の主張
1 太郎が発症に至るまでの経緯
(一) 太郎の業務内容等
太郎の業務は,現場監督として作業現場のパトロールを行うことの他に,作業内容の指示,元請会社や本社との連絡・交渉,作業の段取りの決定,塗装材料等の手配,職人の手配,昼食及び残業食の手配,作業日報の作成等であり,職人が不足し,作業が遅れていたときは,自ら塗装作業に従事することもあったが,職人らの安全監視は含まれていなかった。職人らの安全監視は,東邦塗装の下請けである又吉組の大賀康功が担当していた。
太郎の労働時間は,所定労働時間が午前8時から午後5時30分まで,所定休憩時間が午前10時から10時20分まで,12時から午後1時まで及び午後3時から3時20分までであり,実労働時間は7時間50分であった。
太郎は,本件現場に赴任した昭和63年2月から発症前日までの間,1か月当たり平均28.7時間,1日当たり平均1.3時間程度の時間外勤務をしており,1か月当たり平均4.6日の休日を取得していた。
太郎が同居していたのは,東邦塗装の下請けである又吉組の職人であり,その労務管理は又吉組の又吉康裕が担当していた。宿舎に帰ってからの太郎に仕事はなかった。
(二) 太郎の健康状態
太郎は,身長1.69メートル,体重74.5キログラムであった。昭和56年ころの健康診断で血圧が高いと指摘を受けたことがあり,東邦塗装に入社した昭和60年当時,血圧を下げる薬を服用していた。
(三) 業務による明らかな過重負荷の有無
本件事故当日である11月14日の勤務内容は,午前7時10分に出勤し,7時50分から8時まで体操,8時から8時30分まで朝礼,安全訓辞及び1日の作業の打合わせ等,8時30分から10時まで現場パトロール,10時から10時20分まで休憩,10時20分から12時まで現場パトロール,午後0時から1時まで昼休み,1時から3時まで現場パトロール,3時から3時20分まで休憩,3時20分から4時まで材料手配や打合わせ等,4時から5時まで残業食購入,5時から6時まで現場パトロール,6時から6時40分まで夕食,6時40分から現場パトロールというもので,日常業務に比較して特に過重な業務ではなく,発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事に遭遇したこともなかった。
本件事故前日も,同様に,現場パトロール業務等に従事しており,日常業務に比較して特に過重な業務に就労したことはなく,発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事に遭遇したこともなかった。
本件事故前1週間(11月7日から13日まで)についても,本件事故当日と同様であり,午後8時まで現場パトロールを行った後,8時10分に退勤しており,その間の時間外労働は1日平均1.2時間にすぎず,同月6日と13日に休日勤務を行っているが,時間外労働はしていないから,太郎がこの間特に過重な業務に就労したとは認められない。
さらに,本件事故前1か月間(10月14日から11月13日まで)の業務を見ても,その間の時間外労働は1日平均2.6時間であり,夕食時間を除くと1.94時間にすぎず,この間休日を2回取得していることに照らせば,太郎のこの間の業務が,日常業務に比較して特に過重な業務であったということはできない。
2 業務起因性の有無
右のような太郎の本件事故前の勤務状況を前提とすれば,太郎が発症前に,発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事に遭遇したことはなく,発症前1か月にまで遡ってみても,太郎が,日常業務に比較して特に過重な業務に就労したとも認められないから,太郎の業務と死亡との間に相当因果関係があるということはできない。
以上によれば,遺族補償給付等の不支給を決定した本件処分は適法である。
第三判断
一 「業務上」の意義について
労災保険法12条の8第2項,労働基準法79条及び80条にいう業務上の死亡とは,当該業務と死亡との間に相当因果関係の存することをいうところ,本件のように脳血管疾患等の場合には,複数の原因が競合して発症したと認められることが多いことに照らせば,相当因果関係が認められるか否かは,当該業務が死亡の原因となった当該傷病等に対して,他の原因と比較して相対的に有力な原因となっていると認められることを要すると解すべきである。なお,労働者が予め有している基礎疾患(現疾病に先行し,継続して存在し,疾病の発症の基礎となる病的状態をいう。)などが原因となって傷病等を発症させて死亡した場合であっても,当該業務の遂行が労働者にとって精神的,肉体的に加重負担となり,それが自然経過を超えて基礎疾患を著しく増悪させて傷病等を発症させ死亡させたと認められる場合には,右の加重負荷が死の結果に対し相対的に有力な原因になっているとして相当因果関係が認められると解するのが相当である。そして,右の加重負荷の判断は,業務内容,業務環境,業務量などの就労状況や基礎疾患の病態,程度,予後,傷病等の発症のプロセスといった医学的知見などの諸事情を総合考慮してなされるべきである。
ところで,原告は,東邦塗装には,太郎の高血圧症を知りながら,それが悪化しないよう予防措置を講じたり,適切な治療を受けさせることをしなかった点,適正に労働力を確保しなかった点などにおいて安全配慮義務違反があり,業務起因性の判断においてこれを考慮すべきであると主張するが,業務起因性の有無の判断は,使用者の過失の有無を離れて,業務と疾病との間の相当因果関係の有無によってのみ決せられるものであるから,使用者に安全配慮義務違反があったか否かは,その判断を左右する要素とはならない。
二 高血圧性脳出血の医学的知見
高血圧性脳出血の医学的知見について,証拠(<証拠・人証略)>によれば,次のとおり認められる。
1 脳出血とは,脳血管の破綻によって脳実質内に出血が起こった場合をいい,出血の原因は様々であるが,最も頻度が高く,臨床的に重要なものは高血圧性脳出血である。
高血圧性脳出血の発生機序は,以下のとおりである。正常な血管の内膜は,非常に滑らかで抵抗なく流れるが,高血圧症が継続すると次第にこの膜が壊れ,血漿成分が血管壁内へ浸潤していく。この結果,血管壁の細胞は破壊され,脆弱化した血管壁が何らかの衝撃で破れたり,脆弱化した箇所が突出して小動脈瘤を形成した後に何らかの衝撃によって破裂したりすると,その部分から出血することとなる。このように,基礎疾患としての高血圧症が原因となって脳出血を引き起こしたと認められる場合を高血圧性脳出血という。
高血圧症は,脳出血の最大の危険要因であり,脳出血の内,高血圧症を原因とするものが全体の6割とも,8ないし9割ともいわれている。高血圧性脳出血は大脳にある被殻部で発症することが最も多く,その他に間脳にある視床部,脳幹部にある橋部,小脳等が好発部位として挙げられる。日本人で,最高血圧が145,最低血圧が100以上程度の高血圧を有する人が高血圧を放置していれば,治療の有無等による差異があるものの,数年から10年程度の期間で血管が脆弱化し,脳出血が生じる危険が高くなる。高血圧症が継続し,血管が脆弱化していく過程においては,一過性の動悸や耳鳴り等が生じることがあるが,通常は自覚症状を伴わずに進行していく。
2 ところで,血管壊死や小動脈瘤の形成といった状態が生成されていたとしても,それが破綻しなければ脳出血は発症しない。そこで,破綻を引き起こす因子(以下「引き金因子」という。)がいかなるものであるかが問題となるところ,臨床的には,急激な血圧上昇が引き金因子として挙げられる。しかし,その具体的な血圧上昇の程度は,血管の脆弱化の程度と引き金因子の強弱との相関関係によるものであり,血管の脆弱化が著しく進行していれば,仕事,食事,用便,入浴,精神的興奮といった日常生活中の血圧を上昇させる些細な要因でも引き金因子となり得るし,反面,より脆弱化が進展していない段階であれば,極度の緊張や興奮といった血圧を大きく上昇させるような要因があって始めて引き金因子となると考えられる。
3 脳出血が発症すると,出血個所の周辺組織が破壊され,血腫の進展に伴い神経組織の圧迫壊死等が進行していく。発症の際は,激しい痛みによって,急に奇声が発せられることがある。発症後の重篤度は,出血の部位と程度によって異なるが,発症して数分以内で昏睡等の意識障害に陥ることが多く,当初からの意識障害が強いほど重症であるとされる。発症時には,脳出血の突発によって,脳幹の血管運動中枢を介して二次的に高血圧が惹起されるため,ほぼ例外なく著名な高血圧が認められる。発症後の予後は悪く,1日以内に死に至ることは稀でない。
三 太郎の基礎疾患の存否について
1 (証拠・人証略)によれば,以下の事実が認められる。
(一) いわき市立総合磐城共立病院において撮影された太郎の脳のCTスキャンの所見によれば,高血圧性脳出血の好発部位である脳幹部と被殻部の2箇所で出血していることが確認される。そして,脳幹部での出血は,その重要部分を横断するように出血し,また,被殻部での出血も,被殻部を覆うように出血し,脳室に穿破しており,相当大きな出血であったことは明らかである。しかも,太郎が直後から意識がなかったことからすると,脳幹部と被殻部という離れた場所において,同時にそれぞれ出血したことが推定される。
(二) いわき市立総合磐城共立病院への搬送直後,太郎の血圧は,当初最高が220,最低が130という高値を示しており,降圧剤であるアプレゾリンやアダラートを投与しても最高が190,最低が90にまでしか下がらなかった。そこで,午後10時以後,一般には使用されない極めて強力な降圧剤であるアルフォナードが投与された。同剤の投与によって,太郎の血圧は一時最高が112,最低が60にまで低下したが,午後11時ころには再び上昇し,午前0時ころには最高166,最低110まで上昇した。そのため,以後アルフォナードが数回にわたって投与されたが,太郎の血圧は安定的に降下することなく,容態を好転させぬままに,11月15日午前8時に死亡した。
脳出血患者は,脳出血という極めて異常な事態の突発によって,脳幹の血管運動中枢を介して二次的に高血圧が惹起され,発作時に高血圧症状を示すことが常ではあるが,通常はアダラート等の一般的な降圧剤によって血圧の調整が可能である。ところが,太郎の場合には,脳外科で手術の際など,血圧を下げることが最優先される場合にしか使用されない極めて強力な降圧剤であるアルフォナードを繰り返し使用しても血圧値を降下させることができなかった。
(三) いわき市立総合磐城共立病院での太郎の主治医であった相原医師自身が,高血圧症による脳出血を直接の死亡原因と確定診断しているところであり,以上の所見からしても,太郎の症例が典型的な高血圧性脳出血であることは明らかである。そして,右のCTスキャンの特徴的な所見やアルフォナードの使用にもかかわらず血圧値を降下させることができなかったことに照らすと,太郎が基礎疾患として,年単位にわたる相当長期間に及んで非常に重篤な高血圧症に罹患していたと判断するのが医学上妥当である(<証拠略>)。
なお,太郎に外傷はなく(<証拠略>),外傷による脳出血を疑う余地はない。
2(一) (証拠略)(東邦塗装から本件の元請である三菱重工に提出された太郎の昭和63年2月1日付け「一般健康診断個人票」)には,矢沢内科医院の記名押印がなされた上,太郎の血圧値につき「138~84」との記載がある。ところが,(証拠略)(労働基準監督署事務官作成の東邦塗装の工事部次長前原一徳からの聴取書)によれば,右矢沢内科医院の記名押印は偽造であり,右数値についても,前原が太郎の言うがままに適当に記入したというのである。右のような医師の作成名義まで偽造した,内容虚偽の健康診断書を元請に提出したということは,当時,太郎の血圧値が病的に高い数値を示していたのではないかとの疑念を抱かせる。
(二) 太郎の発症前の正確な血圧値を示す資料は存在しないが,(証拠略)によれば,太郎は身長約169センチメートル,体重約74.5キログラムとやや肥満気味で,昭和56年ころ当時勤務していた柏原塗研工業株式会社の健康診断で血圧が高いと指摘されたことがあったこと,(証拠略)によれば,右前原が,太郎が昭和58年ころ高血圧の薬を飲んでいたとの話を聞いたことがあること,以上の事実が認められ,これらの事実も,右1(三)の医学的判断を裏付けるものである。
四 業務の状況について
前記争いのない事実,証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
1 経歴等
太郎は,昭和22年12月15日生まれである。太郎は,昭和49年4月に柏原塗研工業株式会社に就職し,同社で製油所の煙突塗装工事やタンク塗装工事等の現場監督を務めた後,昭和58年以降二度の転職を経て,昭和60年12月に東邦塗装へ入社した。太郎は,同社における課長職であり,入社後,東京電力株式会社富津火力発電所のボイラー塗装工事や三菱製紙株式会社のボイラー塗装工事等の現場監督を務めるなどした。
2 本件現場への赴任
東邦塗装は,昭和62年ころ,昭和61年8月から平成元年6月にかけて行われた広野火力発電所の3号ボイラー建設工事の一部である本件作業を,三菱重工から請け負った。その規模は,東邦塗装が受注した工事の中では数少ない大規模なものであり,同社はその社員であった出口清光を現場監督とし,太郎をその補助者とする体制を予定してその準備を進めていた。ところが,同年11月,出口が東邦塗装の代表者である谷崎満男との口論を契機に退職するところとなり,急遽出口に代わり同社の社員であった前原一徳が現場監督になることとされた。しかし,同人の赴任が家庭の事情等を理由として困難となり,その結果,太郎が現場監督として赴任することになった。
本件作業においては,東邦塗装は,又吉組を中心とする外部業者に孫請させて,塗装工事を実施することとしており,東邦塗装からは,太郎1人が現場監督として本件現場に赴いた。又吉組は,同族で経営しており,兄の又吉功が代表者で,弟の又吉康裕が現場責任者として運営していた。又吉兄弟は,太郎の妻である原告の実弟にあたる。
3 職務内容等
(一) 昭和63年2月26日,太郎は,家族を千葉県に残し,広野町へ単身赴任した。本件現場では,三菱重工から,3号ボイラー建設工事のうち保温工事と塗装工事の技術指導と施工管理を請け負った株式会社サーマルエンジニアリング(以下「サーマル」という。)が本件作業の施工管理を行い,東邦塗装は,その指示の下,孫請である又吉組らを監督して,本件作業を遂行する立場にあった。サーマルの担当者は青野重徳で,又吉組において職人をまとめて仕事のさい配をする棒心と呼ばれる立場に就いたのは又吉康裕(なお,同人が棒心となったのは3月21日からである。)であった。また,作業現場で職人らの安全管理を行う,いわゆる安全監視人には,本件作業開始当初,現地採用された者が就任したが,その者が2,3日で辞めてしまったため,又吉組の職人であった大賀康功が担当することとなった。
太郎は,東邦塗装の現場監督として,元請会社等との折衝,現場パトロール,又吉組らへの作業の指示,作業段取りの設定,塗装材料等の手配,昼食及び残業時の夜食の弁当の手配並びに塗装工事日報(<証拠略>)や作業実績・予定表(<証拠略>)及び出勤簿の作成等の業務を行っていた。現場パトロールとは,職人が安全に作業をしているか確認するとともに,打合わせどおりの作業をしているか確認し,必要な注意指導をするとともに,作業の進捗状況等を把握する業務であり,太郎は,作業が進行している箇所を重点的に,1回につき1時間ないしは2時間程度かけて,少なくとも午前と午後に各一度ずつと,残業時に行っていた。本件現場である広野火力発電所3号ボイラー設備は,高さ100メートル,縦,横50メートルの12階建て鉄骨構造物であり,階段は1階から屋上まで多数あり,高所での作業も必要とされた。風の影響を受ける高所での作業時には安全帯が不可欠とされていた。
(二) 太郎の1日の業務内容は,おおむね次のような内容であった。
午前7時10分ころ 出勤。以後,その日の作業の打合わせやラジオ体操,朝礼等
午前8時ころ 作業開始。以後,現場パトロールや事務所における書類作成事務等。なお,午前10時から10時20分は所定休憩時間であった。
午後0時ころ 昼休み
午後1時ころ 作業再開。以後,現場パトロールや事務所における書類作成事務等。なお,午後3時から3時20分は所定休憩時間であった。
午後3時20分ころ 元請会社の担当者らとの翌日の作業の打合わせ等
午後4時ころ 現場パトロールや事務所における書類作成事務等。
なお,このころ,残業が予定されている職人らの残業食の購入に出かけていた。
午後6時ころ 職人らとともに事務所に引き上(ママ)げる。残業を行う場合は,この後食事をし,小憩をした後,午後7時ころから作業を再開する。
常に作業終了時まで太郎が監督をし,作業が終了した旨を青野に報告してから退出することとなっていた。
(三) 太郎は,本件現場に赴任した当初は,青野を含むサーマルの関係者が宿泊していた近くの旅館に宿泊していたが,4月以降は,又吉組が宿舎として利用していた一戸建て住宅へ移った。右建物には,又吉組の職人らが多数起居しており,太郎は,大賀及び職人1人と一緒にその内の6畳間で生活をしていた。
なお,この点に関して原告は,太郎は監督としての立場から,宿舎でも職人らの指導監督をしたり,相談を受けたりする等していたとの又吉功の陳述書(<証拠略>)中の記載内容を根拠に,太郎は24時間勤務に等しい状態であり,作業の疲労やストレスを解消できなかった旨主張する。しかし,右記載内容のみによって,かかる指導監督や相談が常態化していたとは到底認められないのみならず,宿舎で現実に起居を供にしていた証人又吉康裕が,太郎の宿舎での仕事内容を問われて,「宿に帰っては作業はないです。ふろに入って寝るくらいのもので。」と証言していること(<証拠略>)からしても,原告の右主張は理由がない。
4 9月以降の就労状況
(一) 本件作業は,開始当初は順調に推移していた。しかし,本件現場を含む広野町地域では,7月から9月にかけて,平年比2倍を大きく上回る降雨があり,屋外での塗装作業が大きく制約されてしまった結果,工程は予定より大幅に遅れることとなった。本件ボイラー建設工事においては,10月13日及び14日には消防検査が予定されていたが,9月ころでは,本件工事は予定よりも約1か月位遅れていた。11月16日にはボイラーが完成したことを記念して,施主や元請会社の関係者や,地元の政治家等が招待されて開催される火入れ式と呼ばれる式典が予定されていたところ,当日までに関係者の目に触れる部分の塗装が完了していなければならないという時間的な制約があった。そこで,太郎は,作業の遅れを取り戻すべく,9月頃から東邦塗装本社へ電話をして,職人の増員を再三求めたが,昭和63年当時は,いわゆるバブル経済期にあり,多数の建設工事のために全国的に職人不足が慢性化していた時期であったため,職人の増員はなかなか実現されなかった。その結果,太郎らは,作業の遅れを取り戻すべく,残業や休日出勤を行うこととなり,太郎は9月以降消防検査当日である10月13日までの間,9月4日と18日を除いて連日出勤した。また,残業は,9月末ころから増加し始め,10月3日から11日にかけては,10月6日を除き連日5時間の残業が,消防検査前日の10月12日は6時間の残業が行われ,太郎の帰宅は深夜0時を過ぎることもあった。残業の際,太郎は書類作成や打合わせ業務等がないため,現場パトロールの合間に手の届く所を自ら塗装するなどしていた。
このように,本件作業は10月13日及び14日の消防検査を終え,11月16日の火入れ式に向けた作業が行われることになった。10月から11月にかけては,平年比3割から5割程度の降雨しかなく,太郎や又吉組の職人らは,10月15日以降同月末までの間,ほぼ連日3時間程度の残業を行った。太郎は,東邦塗装本社や又吉組に対して職人の増員を求めた結果,11月初めに長崎や岩手から4人ずつ,地元の業者から4人の応援が加わり,さらに11月12日に又吉組の職人が約10名増員され,10月下旬に15人前後であった職人の数は,11月7日以降は30名前後の体制で作業が進められることとなった。このため,作業は急ピッチで進み,火入れ式に向けて,作業の遅れは殆ど取り戻す目処が立つこととなった。太郎は,10月15日から11月14日までの間,10月21日に東邦塗装本社へ日帰りし,同月30日に1日休暇を取得した以外は毎日出勤し,その間,11月6日と13日を除いて概ね3時間の残業を行った。
(二) 右の点に関して,太郎の残業時間数について,原告は,又吉功(以下「功」という。)及び大賀康功の陳述書の記載部分(<証拠略>)並びに証人又吉康裕の証言(<証拠略>)を根拠に,太郎は10月から11月13日までの間,連日5時間から7時間程度の残業を行っており,帰宅時間は午前0時や1時であった旨主張する。しかしながら,右の各供述を裏付ける客観的な証拠は存在せず,他方において,証人谷崎満男の証言及び弁論の全趣旨によって太郎が本件作業に従事していた過程で機械的に毎日作成していたと認められる塗装工事日報(<証拠略>なお,<証拠略>は,本件事故発生日のものであり,他の同号証と筆跡が異なるので,太郎が作成したものとは認められない。)によれば,太郎の残業時間は,右(一)で認定したとおりの時間数とされており,証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によれば,消防検査が行われた10月13日及び14日の時点では,同検査を迎えるに必要な塗装は一応予定どおり完了していたと推認できること,10月及び11月は平年比3割から5割程度の降雨しかなく,天候による作業の遅れがなかったといえること,10月下旬に15人前後であった職人の数は次第に増員された結果,11月7日以降は30名前後に倍増されていたことの各事実が認められるのであるから,10月から11月13日までの間,連日5時間から7時間程度の残業が行われていたとする原告の主張はにわかに採用し得ない。
なお,原告は,作業が多忙になる中,作業員が一斉に休憩をすることができないため,太郎は休憩時間を取れなかった旨の主張もするが,職人の作業を常時太郎が監視していた事実は認められない(太郎が監視していたのは,現場パトロール時のみである。)から,原告の右主張は失当である。
また,原告は,太郎が基礎疾患としての高血圧症の治療を受ける機会が得られないほどに業務が過重であったとの主張をするが,右認定事実によれば,その主張に理由はない。
5 本件事故の発生
11月14日,太郎は午前5時30分ころ起床し,午前7時前ころに本件現場に到着した。太郎は,通常どおり,当日の作業の打合わせや体操等を行った後,午前8時過ぎから作業を開始した。同日は,火入れ式を直前に控えた時期であり,補修塗装又は手直し塗装作業が行われ,太郎は,現場パトロールを行いながら,作業状況を監督したり,配管のどこに文字を書くかについて指導したりしつつ,手の届く所の塗装作業等を行うなどしていた。
太郎は,午後6時ころに当日残業が予定されていた職人らと詰所で弁当を食べた後,作業を再開し,現場でしばらく作業の仕上がり具合の見回りなどをしていた。しかし,午後7時40分ころ,1階フロアで「オー」という叫び声が発せられ,これを聞いた職人らが駆けつけたところ,右手にハケを持ち,左手にペンキを入れる道具を持ったままうつぶせに倒れている太郎が発見された。
太郎は,ただちに救急車でいわき市立総合磐城共立病院へ搬送された。同病院に午後8時43分に到着した太郎は,相原医師による診察を受けたが,容態を好転させぬままに,11月15日午前8時に死亡した。
五 業務起因性について
1 太郎には外傷はなく外傷による脳出血を疑う余地のないことは前記三1で認定のとおりであり,太郎が強度の精神的,身体的負荷を受け,その結果,急激な血圧変動や血管収縮を引き起こすような異常なできごとに遭遇したことを窺わせるに足りる証拠もない。
2 そこで,太郎の本件現場における業務遂行が過重業務となり,それが自然経過を超えて基礎疾患を著しく増悪させたと認められるか否かについて検討する。
前記四4で認定のとおり,太郎は9月以降10月13日の消防検査に至るまでの間,9月4日と18日を除いて連日出勤しており,消防検査を目前に控えた10月上旬ころは,残業時間が5時間から6時間の日々が約10日間にわたって継続していた。そして,消防検査の終了以降も,10月21日に東邦塗装本社へ日帰りし,同月30日に1日休暇を取得した他は連日本件現場に出勤しており,残業時間は,10月上旬よりは減少し,おおむね2時間から3時間程度となり,11月6日と本件事故の前日である13日は残業を行っていないものの,総じて労働時間は相当長く,ある程度の疲労が蓄積し,ストレスが生じていたであろうことは推認するに難くない。
しかしながら,太郎が行っていた業務の内容は,前記四3で認定のとおり,現場監督として,元請会社との折衝,現場パトロール,又吉組への作業の指示,作業段取りの設定,塗装材料等の手配,昼食及び残業時の夜食の弁当の手配並びに塗装工事日報や出勤簿の作成などであり,中心は,現場パトロールという適度な運動を伴う軽作業と書類作成等のデスクワークとを,交互に日々同様の時間割で行うという定型的な作業の繰返しであり,工事現場における責任者としてはもとより,一般的な労働としても,特に過重な負荷を与えるものとは認め難い。しかも,太郎の妻である原告の実弟で,太郎と十分に意思疎通を図り得る関係にあった又吉康裕が孫請である又吉組の職人らを統括する立場にあり,安全管理に専従する安全監視人も置かれており,それなりに太郎を補佐する体制が整備されていたこと,太郎は,昭和49年以来現場監督として就労し同種業務に相当の経験を積んできたものであること,太郎にとって,本件作業は規模の点はともかく内容的に特段新奇なものではなく,現に本件事故に至るまでの8か月余りの間,格段支障なく本件業務を遂行してきたこと,11月に入ってからは消防検査前の作業工程の遅れもほぼ解消し,火入れ式に向けて順調に作業が進行していたことからも,過度のストレスが生じていたとみることも困難である。また,11月1日から14日までの本件現場付近の気温を検討しても,11月の気温として最高温度と最低温度との差が著しく大きいとはいえず,気圧の急激な変動もない(<証拠略>)。
そして,前記三で認定したとおり,太郎には,基礎疾患としての重篤な高血圧症が相当以前からあり,昭和56年ころには健康診断の際にその旨指摘されながら,一時期薬を飲んでいたものの,継続してその治療を行った形跡が窺われないことからすれば,年単位の長期間にわたる高血圧の持続により血管の脆弱化が進行し,そのため自然経過の中で脳出血がいつ発症しても無理からぬ程の重篤な脳血管の病変が複数箇所に生じ進行し,自然発症的に脳出血を惹起し,結局死に至ったものとみるのが医学的知見に合致し(<証拠略>),相当であり,太郎の本件現場における業務遂行が加重負荷となり,それが自然経過を超えて基礎疾患である高血圧症を著しく増悪させたり,あるいは血圧の降下を妨げ,血管壁の脆弱化をもたらしたとは到底認められない。したがって,太郎の業務と死亡との間に相当因果関係があると認めることができず,他にこれを認めるに足りる証拠はない。
六 以上のとおり,原告の請求は理由がないので棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 生島弘康 裁判官 髙橋光雄 裁判官 堀部亮一)